私がパルクールを始めてもうすぐ2年になるので、今回は、parkour(パルクール)について書いていこうと思います。まだまだ2年たらずなので、何も知らない新米がと思う人もいるかと思いますが、読んでいただけると嬉しいです。
parkour(パルクール)とは、「走る」「跳ぶ」「登る」といった移動に重点を置く動作を通じて、心身を鍛えるスポーツです。(日本パルクール協会参照)
1980年代にフランスの9人の若者たち「YAMAKASI(ヤマカシ)」と言われる集団により作られ、元々パルクールとは彼らの考え方である、”l’art du deplacement”(移動の芸術)という考え方の中の「移動技術や移動速度を重要視したもの」というものであった。今では、parkour,free runningとして世間に広まっている。
私もあまり詳しくはないので、ほんとにこの話があってるのかどうかも不安ではありますが、色々な人から聞いたり、調べたりしたところこのような感じでまとまりました。ここ間違ってるよ?とか、これおかしくない?って思う人はコメントください。よろしくお願いします。
それでは本題に戻りまして、パルクールとは何かを私が思ったことを思った通りに書いていきます。ここからは一個人の意見ですので、共感できない部分やおかしい部分ももしかしたら出てくるかもしれません。が、その際はこういう考えもあるのかと思っていただけると幸いです。
初めは、パルクールと聞いてクルクル回ったりしてアクロバットを決めつつ移動をしていくスポーツだと思っていました、ですが、少しずつ色々な人とやっていったりすることによって、アクロバットを入れていない動きもパルクール、むしろそっちの動きのほうがパルクールというイメージに合うような気がしてきました。しかしこの考えは今思うとあまりうまくないなと感じています。そして、ある出来事がきっかけで私のパルクールのイメージが大きく変わったのです。それは、去年のWCT(ワールドチャイスタグ)に出場したことです。このことについてはまたの機会に詳しく書きますが、その大会で出会った人々、特に日本のメンバーにはものすごく色々なことを教わった印象です。それでは、前置きが長くなってしまいましたが、私の考えがどういう風に変わったのかをできるだけ簡単に述べていきます。
1. パルクールとは考えることである。
2. パルクールとはコミュニティである。
ということ。それではまず初めに書いたものから説明していきます。
パルクールは、他の競技、スポーツと違って必要な道具やものがほぼありません。自分が障害物とみなすものがありさえすれば成り立つスポーツです。それは恐ろしく自由度が高いスポーツということが言えます。そのため自分で考えて、課題を作り、それを積み重ねていってフロウを作っていきます。それは、他のスポーツにはない自分で1から創造するということです。自分でルールを作っていくと言っても過言ではありません。ひとりひとり考え方が違うから、同じスポットで動いていても、違う動きを間違いなくします。それがパルクールの面白いところであると思っています。この人はこんな動きをするのかと発見する、この人と動きが似てるから同じ動きできるかもしれない。などなど考えれば考えるだけ色々な課題が増えていきます。そしてこれをクリアすることこそパルクールの醍醐味です。前できなかった課題を超えて自分の成長を感じることができます。フロウを考えている最中や、課題ができず息詰まって何が問題なのかを考えているところこそ、パルクールであると感じました。ですが、自分ひとりだけでは、ただ一通りの考え方にしか出会えません。しかし、違うトレーサーと動いてみたり、一緒にできない課題を取り組むと見えていなかったものが見えてくる時があります。それは、他のトレーサーとコミュニケーションを図って、色々な考えを共有下からこそできたものだと感じます。これが、自分がパルクールがコミュニティであるという考え方です。
要するに、パルクールとは飛んだりまわったりする移動を重点においたスポーツではなく、考え方や思想であるということ。その思想が、偶然移動を重点においたスポーツであっただけだと感じます。もしかしたらこの考え方はおかしいかもしれません。移動を重点においた自由なスポーツだったからこそ、考え方や思考が広まったのかもしれません。
何はともあれ、私はトレーサーと呼ばれる人たちはみんな仲間みたいな感覚だと思っているので、そのことも含めて私の気持ちを少しでもわかっていただけるとありがたいです。